ジジイと呼ばれる大家①

カナダに来て、8回も引っ越しをした私は、一般的に言われる引っ越し魔。トレンディーエリアのタワマンから親友の家の間借りまで、住所を転々としてきた。今の家に落ち着いてから6年目。きっかけは親友が長期不在の為、彼女の留守を借用するという理由で住み着いた。南向きのこじゃれた空間で、お庭で自由に野菜や果物を育てることができるお得物件である。庭には、山椒の木(雄と雌)、ミョウガ、ヨモギ、三つ葉など、日本食の充実に欠かせないハーブも用意し、海外生活をしていてもこだわった日本食を作ることができる。

玄関は別だが、大家とは、毎日顔を合わせるのが、ここでの生活の日常である。大家のあだ名はジジイ。英語の名前もGから始まるので、ジジイは、自分のニックネームとして誤解している。「おい、ジジイ」と呼ぶと、「なんだ、独裁者」と返事をする。そう、私のあだ名は独裁者。人の家にテナントとして住みながら、自分の家のように我が者顔。ある日、ジジイが酔っっぱらいながら、はしごに登り、屋根の修理を始めた。イタリア人のジジイは、暇さえあれば、自家製ワインを飲んでいる。ジジイが修理を始めて10分ほど経ったころ、ドスッと地響きがした。人の体が地面にたたきつけられる音は、前にも聞いたことがあるので、即座にジジイが屋根から落ちたとわかった。

私は、仕事の手を止め、庭に出ていくと、想定どおりジジイは、地面にうずくまっていた。「ジジイ、落ちたか?そのくらいでは死なないから安心しろ」と無感情に言うと、ジジイは、痛そうに「残念だったな。。。俺は未だ死んじゃいねえから、この家は、独裁者の手には、渡さねえぞ!」と言い返した。かわいくないジジイだ。死んだら、畑の肥やしにしてやる。その夜、ジジイは、リビングのソファーで痛さに耐えながら毛布にくるまっていた。ちょっと笑えた。今年に入ってからは、ジジイの生存確認も私の仕事になっている。

なぜ、ジジイに関して書こうと思ったのか?コロナを経験して、『人生100年時代』を生きていくジジイやババアそして、若者たちに賃貸併用住宅の楽しさを知ってもらおうと思った。もちろん、貸す側と借りる側に信頼とフレンドシップがあって成立する関係なので、生活の不自由というものが日に日に増えていくジジイとババアに優しくできないテナントは、隣人に無関心なアパートやマンションに住めばいい。ジジイを6年間観察しているが、年を取れば取る程、生命体の劣化はスピードを増すものだ。しぶとく生きているジジイだが、ここ最近は、一斗缶のペンキを持ち上げられないくらい老いぼれてきた。

という事で、ジジイの紹介から始めよう。ジジイは、10歳の時に、イタリアからカナダに両親と移住してきた。チャイナタウンに近い比較的貧しいイーストエリアで幼年期を過ごし、勤勉な父さんが、家族で支えながら新天地での生活をスタートした。ジジイが大学生になると、クラスメートに山際の土地を買うように勧められる。その土地は、いずれ分譲地となり、ジジイは、少額の投資金から多額の利益を出した。大学で取得した建築免許と土地を転がして得た資金をもとに設計会社を設立し、高層ビルやタワーマンションの建設ブームに乗っかり、成功を収めた。世界的に有名な建築物も手掛けたジジイは、業界では、ちょっと名の知れた人物である。

しかし、ジジイの自宅は、高級住宅街にあるボロ家。ジジイによると、空き巣防止対策としてわざとボロ家を演出しているらしい。嘘に決まっている。ジジイめ、口だけは達者だ。DIY(ディー・アイ・ワイ)の素人修理で、何とか崩壊を乗り切ってきたこのボロ家は、全てがad hoc (その場限りの対応)なのだ。私が移り住んで間もないころは、敷地内の至る所に意味不明な光景があった。例えば、枝にガムテープが巻いてあるとか、微妙な角度でスキー板がフェンスに立てかけてあるとか、堀かけの穴、玄関には、10年前から取り外されていないクリスマスライトがぶら下がっている。今でも変わりないが、見ないふりをしている。ちなみに、私がフェンスに立てかけてあるスキー板をアクシデントで外してしまった時に、すごい事実を発見してしまった。何とまあ、この20世紀の旧モデルのスキー板が、傾きかけたフェンスの支え棒になっていたのだ。。。雪山以外で、役に立っているスキー板。お疲れさん!という事で、ジジイにまつわる笑い話はきりが無いので、『ジジイと呼ばれる大家』は、シリーズ化することにした。