何かが起こる暑い夏の夜

今週は、カナダ各地で最高気温を更新する猛暑が襲った。太陽光のエネルギーが脅威に変わり、地球温暖化の現実を目の前に、暑さに慣れていないカナダ人は、諦めモード。久々に日本の夏を思い出す。日本の夏の経験が、今ではもう、遠い昔の記憶になっている。不思議なことにエアコンで快適になった夏の経験は、全くと言っていいほど、記憶に残っていないのだ。生活が未だちょっと不便だったころ、部屋の片隅で回っている扇風機の吹き流しが揺れる光景であったり、お風呂上りの冷たい麦茶とスイカであったり、窓の外から聞こえてくるコオロギの鳴き声であったり、そんな『家族と共に過ごした暑さへの抵抗』が、私の中では懐かしいのだ。

昼間の気温が暑ければ暑いほど、その日の夜の訪れが待ち遠しいものである。日暮れ時に、ガーデンにたっぷり水を撒く。大地の温度が下がると、ガーデンは、『夏の季節の匂い』でいっぱいになる。そして、地味な昆虫たちが、野菜やお花の隙間をせっせと歩き回る。この小さな地べたをはい回る昆虫たちの代表は、ダンゴムシとワラジムシ。太古の海に棲んでいた甲殻類の一部が陸の環境に適応するようになったのが、ダンゴムシやワラジムシなどの等脚類であると考えられている。君たちの背中にカンブリアのロマンがある。夏の夜は神秘的だ。

田舎育ちの私は、祖父が話す『田舎がもっと田舎だった頃の昔話』が大好きだった。桑畑のあぜ道が通学路であった話、自宅で飼っていたブタが髙崎ハムに行かなければならない話(たぶん、豚はハムになったんだと思う)など、祖父から聞く『過去』の話は、『異国の情緒』の感覚に似ていて、ワクワクしたのを覚えている。

その中でも私のお気に入りの話は、狐火(きつねび)である。「昔は、よく狐火を見たんだよ」と、祖父は話してくれた。暗闇に光る青白い光の行列はさぞかし美しいに違いないと、想像力を掻き立てられた。そんな祖父の体験談の1つに、臭い話が1つある。それは、祖父が青年だった頃に起きた珍事件。

その日、祖父は、釣りに夢中になってしまったそうで、ついうっかり門限の時間を過ぎてしまった。夕闇に包まれる桑畑のあぜ道を急ぎ足で歩いていると、道に美人が立っており、祖父に向かって手招きしているというのだ。

「良いお湯がございます。どうぞ、お風呂に寄っていきませんか?」と、美人は、笑顔で祖父を引き留めた。

祖父は、ひとまず足を止めて、美人が勧める『お風呂』というものを見てみると、大きな風呂おけには、たっぷりと湯が張ってあったそうだ。

当時、青年であった祖父は、「ひとまず、風呂でも頂こうか」と、全く疑いもしなかったそうだ。

お風呂を満悦している祖父だったが、「そろそろ夕食の時間だし、親も心配しているから帰る」と、美人に言うと、辺りは急に真っ暗になり、祖父がはっと我に返ると、何と自分は、肥溜めの中にいたという『臭い悲劇』。笑

たい肥まみれになって帰宅した祖父は、彼に起きた一部始終を家族に話したところ、お母さんが、「それは、狐に化かされたのよ」と、呆れたそうだ。

何かが起こる暑い夏の夜の話。