鼻水と涙が止まらない‐Royal Museum for Central Africa (王立中央アフリカ博物館)

90年代のヨーロッパは、グローバリゼーション(英: globalisation)が進みEUが誕生し、どこに行っても大手アパレルメーカー、マクドナルド、大手ホテルチェーン店など似たり寄ったりの風景汚染が始まっていた。当時の私は、『ポストコロニアル時代に行き場を失いかけていた人類学』についての書物を沢山読みあさっていたのだ。そうしたら、逆に『植民地時代』や『帝国主義』が非常に気になりだした。本で読むのもいいが、『帝国主義』の何かしら面影というか足跡が見たくなってきた。

トントン。私は、教授のドアをノックした。

「先生、植民地時代の功績と罪過が、同時に体験できる博物館教えてください。それも普通じゃないヤツでお願いします」

厄介な質問ばかりして、先生を困らせる留学生であった。

20分ほどお喋りをした後、先生にRoyal Museum for Central Africa (王立中央アフリカ博物館)を勧められた。

ベルギーか・・・・

早速、ベルギーとコンゴの歴史について勉強した。コンゴの経験した植民地の歴史は、血生臭い残酷な闇であった。レオポルト2世の私利私欲のために、約800万人~1000万人のコンゴ人が虐殺されたと推定されている。名ばかりの『コンゴ自由国』ではないか?『自由』どころか、搾取と弾圧の悪夢である。私は決めた、これからの人生で、レオポルト2世の銅像を見つけたら、奴にケリを入れると。

大学の冬休みに入ると、ユーロスターのチケットを買い、ベルギーへ向かった。最悪なことに、ブリュッセルに到着したとたん、私の風邪が悪化してしまった。Σ( ̄ロ ̄lll) 

クリネックスティッシュ箱を片手に持ち、鼻水をずるずると流しながら私はテルビューレンにあるRoyal Museum for Central Africaに到着した。鼻をかみすぎて、頭の中は、ぼーっとし、聴力もかなり低下していた。

これが先生の言っていた “The Last Colonial Museum in the World”(世界最後の植民地博物館)なのか。博物館見学なのに、私の気分は、なぜだか『勝負モード』に入っていた。博物館の外観は、さすが『王立』である。ため息が出てくるほど美しい外観。建物のいたる所には、過去の植民地時代を象徴するデザインが施されていた。

いよいよ館内に。

おおーっ。叫

自分では全く気が付かなかったのだが、一緒についてきた彼曰く、私は、館内で叫びまくっていたそうだ。幸いなことに博物館は、ガラガラ。私の怒りと驚きの叫びが、人様に迷惑をかけずにすんだ。

何がそんなに私を興奮させたかというと、ルイ16世様式建築物とは対照的に、政治的にNGであったり人種差別的な展示物が、20世紀を終えようとしている今の世界に、しかも自分の目の前に存在していたのだ。素っ裸のアフリカ人像+槍、アフリカ人像+蛇、白人宣教師をあがめるコンゴ子供、動物のはく製、野蛮人、帝国主義を正当化するためのプロパガンダ(ベルギー帝国主義がアフリカに文明開化をもたらす等のコメント)・・・アベンジャーズのようにステレオタイプが結集していた。

ここは、一体どうなっているのだ?しかも、館内は気味が悪いほど薄暗く時代が止まっているではないか?!私はあの日、タイムトリップをしたのだ。

実際に、Royal Museum for Central Africaが建設された時代には、人間動物園が存在した。現在、博物館から離れた場所には、人間動物園の過酷な環境で死亡した『展示物にされた人達』のお墓がある。ベルギー人の3人に1人が訪れたと言われる人間動物園。チャールズ・ダーウィンの進化論(厳密に言うと、世代を超えて生物が変化&適応していく理論であり、進歩ではない)が一般社会に受け入れられると、彼の学説が独り歩きを始めた。文明や社会の進化の過程(発展の段階性)を西洋のモノサシで図ったのだ。よって、西洋近代社会を最も発展した社会・思想とみなし、それ以外のアフリカやアジアは、『Savage』(野蛮)社会・思想とみなした。

実際、ダーウィンの理論は、生物を『優劣』の尺度で比較していない。よって、西洋の社会・思想が、Savage軍団に対して優れているなんて単一的発展史観的ないちゃもんなのだ。ソーシャル・ダーウィニズムが、悪いのだ。スペンサーやグンプロビチが、自然淘汰説やら生存競争などをアホでもわかる学説を出すものだから、勘違い優越主義者が増えたのだ。植民地という過ちは、私たちが進化の過程で、「人間とは何か」という質問に誤った答えを出してしまった悲劇なのではないか。

生物や文化は、もっと美しいものであるべきなのに。。。展示物を見ている自分の視界がぼやけだして、気がついたら、涙が出ていた。流れる鼻水と涙。この博物館の未来はどうなるのだろうか?いつかはやって来る『展示物のDecolonization(脱植民地化)』のチャレンジにどのようにして挑むのだろうか?再びここを訪れる日は、どんな未来になっているのだろう?と、想像を巡らせながら当時の私は、博物館を後にした。

追伸:Royal Museum for Central Africaは、閉館という選択を選ばず2018年に『展示物のDecolonization(脱植民地化)』を試みた。改装の結果は、賛否両論ではあるが、過去を振り返り、これから進む方向を決めるという試みは決して悪いことではないと思う。