『君たちはどう生きるか』 時間差で感動がジワリジワリと湧いてくる映画
カナダのシアターにも宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』が上映されている。ちなみに、北米での映画のタイトルは「The Boy And The Heron(少年とサギ)」。そのままの直球なタイトルである(笑)。ポスターのイメージとは裏腹に、相変わらずのジブリの映像美にホッとした私。映画自体は、過去の作品ほどストーリー性やロマンは感じられないけれども、コンセプト・アートを鑑賞しているような抽象的な要素があり、私の解釈もオープン・エンドでいいってことかな?と、私なりに自分勝手な解釈を楽しませていただいた。映画に登場するキャラクターもフリースタイルというか、統一性がないところが特徴で、正直なところ、キャラには魅力が全く感じられなかった。
ダンテの『新曲』、過去のジブリ作品、マトリックス、古典ファンタジーなど、「あれっ、このオマージュは・・・”」というデジャヴ―感が、近年の宮﨑駿監督作品に特に顕著で、ストーリーの薄弱さが目立つ一方で、彼は思想を持つアニメーターとして素晴らしい人物であり、日本の誇る開拓者と言えるだろう。何歳になっても情熱を持ち続ける姿勢は本当にカッコイイと思う。
こうして、「心に響いたわ~」とか「むちゃっ、感動したわ~」という感情を全く感じずにシアターを去った私だったが、その後、2日にわたり『君たちはどう生きるか』について考えを巡らせた結果、監督の投げたメッセージが、時間差で腑に落ち、ほっこりとした気分になった。説教じみたタイトルの映画なのに、映画のメッセージは、とても優しく暖かい気持ちとして私は受け入れられたと思う(映画を少しでも理解できたと信じたい)。
一方で、『君たちはどう生きるか』をボロクソに言う友人の意見も大好きなのだ。なぜなら、彼らの意見も大いに「その通り!」であるからだ。宮﨑駿の世界観における悪意に満ちた現実の描写が、眞人自身の頭を傷つける自傷行為であったり、積石と統制の取れない『下の世界』の薄っぺらな描写には納得がいかない!との意見は、ごもっともである。それに、「記号を一つ一つ解読するように監督のメッセージを深読みするのも、ハイ・メンテナンス過ぎて疲れる。もっとストーリーを楽しませて」との意見も納得である。声優陣がへたくそで、日本語のできないカナダ人にも棒読みがばれていた(別の友達が察するに、わざと棒読みでセリフが読まされていたのでは?との意見もあった)。
映画レビューサイト「ロッテントマト」の評価は、特に映画評論家たちの中には、宮﨑駿監督のチャレンジ精神をたたえるコメントが目立つ一方で、ストーリー性が乏しいとの指摘も多い。宮﨑駿監督にとっては、評論家も私たち一般の観客も、ただの『通りすがりの人』である。だからこそ、引退なんてしないで、私たちをこれからもどんどん無視して、自分の好きな作品を作り続けて欲しいと願う。