『縁切り』の祈願で間接正犯一歩手前。運について考える。

2022年、第1回目のブログ。今年もよろしくお願いしま~す。

去年の4月にブログを書き始めて、まだ1周年記念にも到達していない私。飽き性の自分が、ほぼ毎週ブログを投稿するだけでも100点満点である。

さて、今年のカナダの年明けは、寒波と大雪に見舞われ、コロナの感染者は増え、不要不急の旅行や集まりは避けるなど、あーあって感じではあるが、ひとまず健康であることに感謝である。年が暮れて明けるシーズンは、厄払い、祈願、気持の切り替えなど、『心の掃除』もしたくなるのである。よって、今日は、『運』について考えてみた。

私が未だ若かりし頃、そう、未だ結婚という可能性を意識していた頃(笑)、私は、ありとあらゆるお願いスポット(またはモーメント)にお願い事をしたのだ。

①縁結びで有名なお寺

お賽銭を奉納した後、気合を入れて鐘をついたまでは良いが、住職様に「ご近所中に響き渡る程の大きな音を鳴らさなくても神様は、お嬢さんのお声を聞いておりますよ」と、笑われてしまった。

②流れ星へのお願い

流れ星が消える前にお願いをするんだよ!と、友達に言われ、住宅地の屋上で願い事を夜中叫んでいた。近所迷惑な女である。

③パワー・スポット&コインを投げる有名な某観光地

一緒に出向いてくれた友人達の願いは、全員無事に成就!おめでとう~

④適当な神社

旅行先で行き当たりばったりで訪れた神社でも結婚祈願。

結果は、全てからぶりである。       

ガ━━Σ(o゚Д゚p)p━━ン!!

ただ、1つだけ、パワフルな結果が出た神社があるのだ。しかも、当時の私のお願い事は、縁結びとは真逆の『縁切り』。私の軽率な(切れたらいいなぁ~なんて軽い気持ちで)『縁切り』のお願いが、2週間以内に叶ったのだ。その場所は、豊川稲荷東京別院。そして、私がお願いをした神様は、境内の奥の方に祭ってある縁切り稲荷として知られる「叶稲荷尊天」である。それでは、一体何が、私の当時の元カレに起きたのか?

答え:心臓発作

私が、縁を切りたかった男は、死にかけたのだ。縁切りどころではなく、まだ寿命が十分に残っている人間を天国に送るところであった。縁を切ることは望んだが、殺人教唆まではしていない。

ちょっと申し訳ない気持ちもあったが、一度決めた事には、筋をとおすのが私。縁を切ると決めた以上、私はお見舞いにも顔を出さず、連絡も自分からはしなかった。幸いなことに、本命リストに入れていなかった女性から献身的な看病を受けた彼は、その彼女と落ち着くことになり、『めでたし』な結果となったのだ。私の『縁切り』のお願いと重なった彼の不幸は、偶然だけでは語れない出来事となってしまった。ゴメンね。

あらっ、いつもどおり話が脱線しちゃった。それでは、本題の『運』とは何か?について考えてみよう。統計学、心理学、決定論、生き方(=考え方)、生まれながらに持っている何か、引き寄せるチカラ、直観力、努力も必要!などなど、『運』は、いろいろな人によって様々な観点から議論されている。私の遺伝子上の父親に言わせると、運はタイミングであったり、期待していた以上に良いことが起こるのが『運』という。

運の強い友人に『運』とは何か?と質問してみると、驚くほど回答がバラバラなのだ。私の尊敬する師匠は「運は博打のようなもんや!」と、笑う。師匠にとっては、ビジネスも結婚も全て博打(そんな大きな企業のトップなのに全てが博打なんて・・・汗)。一方、私の一目置く友人は、運はカルマだという。彼らに共通するポイントは、『運』を良くするのは自分次第!ポジティブかつ前向きに考え、結果を出すための行動がしっかり伴っているのだ。主観年齢を若く保ち、劇的に変わる時代の変化についていくという健康的なチャレンジ精神の持ち主さん達である。宝くじを買わないと当たらないのと同じ原理で、買うという行動が努力に値するのであれば、先ずは、自分が『運』をつかむ土俵入りをしなければならない。それが、運を引き寄せる『最初の一歩』になるのだ。コロナがWake-up call(目を覚ませと言う意味)になり、守りの人生に片足を入れていた私に「これでもいいの?」と、語り掛けているような気がする。ということで、今年は、新しいことをスタートしてみようかな?