(先週のお話の続き)コアラ顔で仏のように人間のできた社長さん
コアラ顔で仏のように人間のできた社長さん(先週のブログの続き)
コアラ顔のご長寿との出会いから16年、楽しい思い出ばかりである。カナダ・グリコの社長は、仏のように人間のできた方なのだ。30年前に家族でカナダに移民をし、グリコ・カナダを立ち上げた。今では、ポッキーは、どこに行っても見かける商品になりカナダ人に愛されるお菓子に成長した。カナダ・グリコ社長のビジネス・ストラテジー(戦略)は、MBAもびっくり!MBAで学ぶこととは真逆な戦略で、カナダ全土にエスタブリッシュするという驚異的な成功を遂げた。
社長の口癖の1つに『とにかく笑顔にさせればいい』という名言がある。ポッキーのサンプルを惜しげもなくばらまく豪快な社長。「商品を口に入れさせれば、勝ちや」と、満面の笑顔でよく言っていた。社長の言うとおりである、スーパーでお菓子の試食をした人は、たいがい商品を買っていく。私が、当時、公立コミュニティーカレッジでマネージャーをしていた時も、カレッジ祭のスポンサーになっていただき、カレッジの説明会に訪れる人や在校生たちにポッキーを配った。1万人近くいる学生やスタッフがポッキーをもらいそびれることの無いようにと、社長は、がっつり商品を提供してくれたのだ(翌年、隣の市の私のお友達の勤める公立カレッジにもポッキーを提供いただいた)コミュニティーカレッジに転職する前の職場でも、社長は、私の出張先のホテルに『カナダ限定商品メープル・プリッツ』を送ってくれ私の取引先に届けるよう営業のサポートをしてくれた。
とにかく社長はどこでも商品を配る。ウイスラーのスキー場でも、ゴンドラの中でも、入院先の病院でも、飛行機の中でも、バンクーバー日本コミュニティー祭でも、催物でも、レストランでも、どこでもポッキーで『皆を笑顔にさせる』のだ。社長は、皆に優しかった。すし屋に努める社員さん達を毎年スノーボードやマツタケ狩りに連れて行った。留学生やワーホリさんたちの楽しい思いで作りに貢献した社長は、皆の思い出にいる大切な存在であることは間違いない。ちなみに私のスノーボードデビューは、散々なものであった。初心者なのに社長とウイスラーに行ったもんだから、最後は、くたくたになり、半泣きになりながら社長のスキーのストッパーに引っ張られ下山したのだ。笑
社長家族と潮干狩りに行った思い出、マツタケ狩りに行った秋、グリコ25周年記念パーティー(司会として参加)、畑を手伝ったり、年末の餅つき、家族のように接してくれた。しかも、社長の家に電話する日に限ってその日の夕食はご馳走なのだ。「〇〇は、鼻がいいな~」と、社長はよく笑った。もちろん、ご馳走と聞いて遠慮なしに社長の家に駆けつける私であった。
分け隔てなく全ての人を受け入れる社長の器は太平洋クラスだ。ある年の出来事である。某大手旅行会社元社員さんが受け負った修学旅行のプランの1つに、カナダ企業見学という企画が持ち上がった。実際、バンクーバーには、修学旅行生の訪問を快く引き受ける日本企業など無い。困り果てた現地請負業者さんから、カナダ・グリコ社長の力を借りられるかお願いしていただきたいとの緊急事態依頼が私に届いたのだ。『困った時は救う神あり』最後の最後まで希望を捨てない仕事人には、必ず助けの手が下りる!社長は、「まかせておけ」と快く承諾してくれたのだ。
修学旅行生の訪問の当日、カナダ・グリコ本社とポッキーが山のように積まれた倉庫に学生たちがやって来た。社長は、学生たちを笑顔で迎え入れると、江崎社長との出会いからカナダ・グリコを創設するにあたってのエピソードなどを話してくれた。社長の生き様は、そこいらの有名人自伝なんぞ目ではないほど、味わい深いのだ。しかも、社長の口からは名言がよく出る。社長のスピーチを聞き終えた学生の顔は、まさに『感動』であった。尊敬できる大人を見る子供のまなざしは、驚くほどに正直である。私も、中学生と同じ気持ちで、社長に『リスペクト』であった。口だけの大人なぞ、子供の目にしたら一目瞭然である。その日の社長の言葉は、美しい夕焼けが肌にじわーっと沁みてくるように温かな気持ちとして伝わり皆の心に響いたに違いない。お土産にポッキーの詰め合わせも用意してもらっちゃって、学生さん達ラッキーだったわ。
『ビジネスも結婚もバクチ』『喧嘩は大きいほどええ(良い)』『海外でビジネスを成功させるには、現地の人を雇い、現地の流儀に従い、現地の顧客をつかむ!日本のやり方は捨てよ!』『英語ができなくても成功はする!』数々の名言を残した社長。人を受け入れる心は太平洋のように広く、思想は、グランドキャニオンのように深いカリスマ社長。何の前触れもなくポックリ逝くなんて、反則ですよ、社長!「〇〇は、本当にアホや」と、私のアホさを笑ってくれる社長がもういないと思うと寂しいものである。そういえば、いつの間にか あの世が『未知で恐怖の世界』から『会いたい人が沢山待っている場所』に変わっていた。