昨日生きた重さは、186グラム
私が心から尊敬する友達のY子さんは、題して『災害の女王』である。私の気配りの欠けた呼び名にも負けることなく、『被災者』と呼ばれようとも『被爆者』と呼ばれようとも、挙句の果てには『災害の女王』と呼ばれても、私を慕ってくれる世界一優しいお友達。彼女の事を思うと涙腺んが緩んでしまうぐらいだ。
福島の電子力発電の事故、床上浸水、地震被害。。。何でも来いのY子さんの『災害の女王』ぷりは、「とんねるずのみなさんのおかげでした」で「全落オーガスタ」の落とし穴に見事に落ちるイッコーさんと何故か重なるものがある。Y子さんは、一言でいうと、どんな時でも笑いに変えてしまう人。
福島県沖地震が起きるちょっと前の事、Y子さんに『災害の女王』とタイトルを書いて、Eメールを送った。その内容は、Y子さんの見事な『災害の女王』ぷりをブログに書かせてもらう許可を問うメールだったのだが、数日後、Y子さんの地域に地震が起きてしまったのだ。
反省
タイミングが悪いのは、私の特技。Y子さんの安全確認をした後、久しぶりにY子さんとゆっくり話をすることができた。この年になって、しみじみと感謝すること、それは親友。もし私に親友がいなかったら、きっと仕事ばかりした人生の後、自殺していたと思う。2時間ほどY子さんとお喋りをした後、Y子さんは、「いろいろ大変だけど、お腹はすくのよねー」と、笑った。そう、生きていればお腹はすくのだ。コロナで運動量が減ってもお腹はすくのだ。災害にあってもお腹はすくのだ。3日間便秘になってもお腹はすくのだ。
「生きる事ってお腹がすくことなんだよね」なんて訳の分からない結論で2人の話は終わり電話を切った。
Y子さんの「それでもお腹はすく」で思い出したのが、カール・マルクスの『単純な事実』。イデオロギー、宗教、政治、科学・・・云々の前に人類は食わなければならない・・・まさしく、そのとおりなのである。おなかがすくことが生きる事なのか?その日は、改めてシンプルな『人間である事実』を思い出させてもらって、ちょっといい気分になった。
その夜、ジジイ(大家さん)から電話が入り、明日の朝、水道を止めると言い出した。原因は、外の蛇口の水漏れ。また、いつものDIYで水道管を修理するというのだから、困ったものだ。翌朝のジジイの水道管工事は、予想をはるかに超える大工事になり、水が使えない時間が長く続いた。そういう時に限って、うんちのお便りが、『そろそろ出るよん』と、サインを出す。トイレのタンクは、最悪なことに朝のおしっこをした時に水を流してしまった。いつになったら水が戻るのかわからない便器にうんちをしてふたをしておくのも嫌だ。
どうしたものだろう。。。もう、最寄りのカフェに行く時間も無い(叫)
えーっと、ビニール袋。それと、新聞紙、どこだっけ。選択肢がない時には、あるもので済ませる。いつもとは違う方法だが、仕方ない。爽快とは言えない、微妙な気分で新聞紙をたたみ、ビニール袋を持ち上げた瞬間、うんちの重みに感心してしまった。自分の落とした物の重さを感じてみるのは、いささか不思議な気持ちだった。
その時、Y子さんとの『お腹がすいて食べる事が生きることである』という話を思い出た。「I see, この重さは、私が昨日生きた重さなのね」と、独り言さえ出てしまった。一体、どのくらい重いのか、図ることにした。
186グラム
昨日、私が生きた重さだ。
Y子さん、ごめん。このブログでY子さんが、素晴らしい人であることを書きたかったのに、自分のうんちの重さで終わってしまった。。。許してくれ。