1998年ロンドン
1998年。私がロンドンに来て2年目。その頃の私は、UCAS(Universities and Colleges Admissions Service)というサービスを利用して大学の出願準備に大忙しだった。記憶は定かではないが、確か5コースまで出願できた。私の第一希望は、ロンドン大学(SOASとUCLの2校)。そして、当時お付き合いしていた彼の母校であるブリストル大学だった。インターネットという便利なツールが無い時代は、大学のカタログを読みあさり、行きたい大学を決めたのだ。よって、私たちが得られた情報は21世紀のネットで得られる情報の100分の1ほど。恐ろしい時代である。
当時の受験生だった私を襲った悲しい出来事がある。それは、1997年にアジア諸国を襲ったファイナンシャル・クライシス。あの時のクライシスのおかげで、クラスメートの多くが大学進学をあきらめて自分の国に帰ったのだ。今になって何故、1997年のファイナンシャル・クライシスを思い出すのかって?それは、最近見始めた韓国のドラマ『二十五、二十一、(25、 21)』で描写される “時代によって夢を奪われた若者たちの苦悩”が、私の経験した友人との別れを思い出させるから。あの時のトラウマでIMF(国際通貨基金国際通貨基金)に対して未だにポジティブな気持ちになれないのである。勿論、IMFの目的や役割は、個人レベルの経済云々では無いことは承知している。それでも、当時のIMFが促進していたStructural adjustment (構造調整)という名の自由主義的経済政策は、裕福層(または先進国)が労働者(または発展途上国)に対してかける『圧力』じゃないの~って、単純な私は思ってしまう。
高校を卒業し、イギリスに渡航した。いざ、大学進学と言う時に、自分の国が、そして家族がファイナンシャル・クライシスで被害を受けた。「こんな状況で、留学してる場合じゃないだろ」って、私の横で韓国人の友達がRibena(ライビーナ)を飲みながら言った。ついさっきまでは、放課後の集まりで「お前の国がすっこけるから、俺の国にも火の粉が降りかかったんだぞぉ~」と、タイから来ていた別のクラスメートに冗談まがいでディスカッションをしていたのだ。誰よりも頑張って、大きな夢を持つ彼は、きっと将来大物になるだろうと信じていたが故、彼の溜息が切なくてしかたなかったのを覚えている。
「俺のキャンパスライフのイメージって、お前みたいな『奴』がいつもどおり慌ててレクチャールームに入って来て、俺が席を確保しとくんだけど、俺がシャツをどける前に俺のシャツの上に座るんだ」と、彼が微笑んだ。(当時の私たちの1日の始まりの風景)
「切ないって気持ちってこういう気持ちなんだ」って私が言ったら、彼が「切ない以外に、何か他の気持ちはあるの?」と、聞くので、「Guilty(罪悪感)」と答えた。自分は、イギリスに残り留学を続けられる罪悪感と、当時付き合っていた彼以外の人にときめいてた罪悪感。あの時の放課後の会話が、今でも昨日のことのように鮮明に私の記憶に残っている。