人類学から授かった叡智
私は、大学で人類学を専攻した。文系なんか専攻して就職の役に立たないじゃない(笑)と、言われてしまうと、反論できない。実際に、就職活動中の面接では、必ず決まって「人類学って何?」と、聞かれた。人類学とは何か?ウィキペディアの引用を借りると、『人類学(じんるいがく、英: anthropology)とは、人類に関しての総合的な学問である。生物学的特性について研究対象とする学問分野を形質人類学もしくは自然人類学と呼び、言語や社会的慣習など文化的側面について研究する学問分野を文化人類学もしくは社会人類学と呼ぶ。さらに言語学や考古学、民俗学や民族学、芸能も包括する』とある。
イギリスのほとんどの大学は、2学期制を採用しているので、1学期中に4教科履修すればよかったのだ。よって、1週間に出席すればよいレクチャー(講義)の数は、4つ!レクチャーのフォローをするクラスが追加で4つあったのだか、ド素人の博士号過程の学生がレクチャーサポートをしていたので、効果的な授業であったかと聞かれると、定かでは無かった。イギリス以外の国で大学を出た友達たちは、「ええっ~、1ターム4ユニットしか授業取らなかったの?」と驚くが、1つのユニットのリーディングリストと課題が莫大なのである。よって、講義ではだいたいの道しるべは教えてくれたのだが、80%は、独学で就学するという放置プレイ状態であった。
人類学でカバーするリーディングリストは、とっても幅広い。哲学も読むし、社会学、言語学、歴史、宗教、民俗学、象徴解釈学的人類学、親族の体系的研究、構造主義・・・・もうキリがない。とにかく、学生時代(学士と大学院)の6年間に莫大な量の本を読んだ。人類学に限らず大学で文系を専攻するメリットは、以下6つ:
①読解力がつく
②Logical Thinking(論理的思考力)がつく
③Critical Thinking(批判的思考能力)がつく
④高い情報収集能力がつく
⑤ニーズが分かりやすくなる(コミュニケーション能力がつく)
⑥多感な時期にいろいろな文研に出会うので、自分自身を改めて客観的に観察できる機会をもてる
要は、社会に出ていくための準備ができるのだ。だから、文系をバカにしてはいけない!数多くある文系の科目選択の中からあえて人類学を学ぶなら、もっと世界が違って見えてくるのだ。
旧人類学のスタート地点は、『私』と『他者』そして『個人』と『集団生活』。『私』に『他者』が加われば何かしらの『かかわり』が構築される。その『かかわり』が複数の人間によって構築されれば、より複雑な人間活動が起こり、やがて文化が生まれる。
「文化って何?」と、聞かれたら、あなたは回答に困るだろうか?
無理がなく適切な回答をするために、人間とサルの比較から思考プロセスをスタートする人もいれば、遺伝子と本能以外に私たちは何を習得し伝達しているのかを探る人もいる。または、文化を構造する何かを見つけようとしたり、文化を構成するエレメントの特徴を文化と呼ぶ人もいるだろう。
人類学者のパッションは、人類の文化の共通性、異質性、多様性を知ることなのである。人類学の特徴は、フィールドワークを主体として研究課題の調査をするのだ。別の言い方をすると『百聞は一見に如かず』を頑なに守り、「自分の眼で見て検証して来まぁ~す」というEmpirical(エンピリカル)精神を持ってフィールドに出ていく。そんな学者たちが時間をかけて持ち帰った文研は、南アメリカの先住民神話とその地域の社会構造の話から、バリの親族体系やら民族リチュアル(儀式)まで、これでもか!というぐらいてんこ盛りなのである。しかも、マニアックでインテレクチュアル的に満足度が高い読み物だけに楽しいのである。あえて不満を言うと、学者たちのフォーカスを『他者』を学ぶことだけに置かないで、彼らの調査対象である『他者』から筆者自身が何を学んだかもエピローグに書いてほしかった。
人類学を学んだおかげで、『他者』や『異文化』に素晴らしい免疫が付いた。どんなおかしな風習や考え方を目のあたりにしても感情的にならずに、目の前の相手はどのような環境や信仰のものとで育ったのだろうと客観的に物事をとらえることができるのだ。とても便利なスキルである。とは言うものの、毎日を名探偵のようにクールに観察しているわけではなく、わーわー、キャーキャー騒ぎながら失敗の繰り返しである。笑
人類学によって『他者』を学んだが故、かえって『私』についてもより深く学ぶ機会を与えてもらった。『他者』から学び『他者』と共に生きる。自分というアイデンティティーが、いくつもの国境を越え、様々な人たちとの『つながり』をオンタイムで経験している。古典的な国家のあり方や愛国心、宗教や信仰、あらゆる差別と偏見、同化の強要に束縛されない『自由に生きる』という選択は、人類学から授かった叡智なのである。